生涯オタク

世界一大好きで、世界一大嫌いな推したちへ

数年ぶりにジャニオタになった話

 

 

※はるか昔に成人を迎えた若俳オタクがHiHi Jetsという平均年齢18.4歳のジャニーズJrのオタクになった話

 

 

2020年の夏、私は7年ぶりにジャニオタになった。

 

あまりにもダサすぎるタイトルである。でも現状を表すにはこの一文しかない気がする。今年の夏、私は約7年振りに、もう二度とならない、戻ってこないと思っていたジャニーズオタクというものに、舞い戻った。

それは多分、コロナで推しに会えない期間があまりにも長すぎたせいかもしれないし、転職して仕事のストレスが溜まりすぎていたせいかもしれない。ただ間違いなく言えるのは、こんなことになるなんて年が明けた時には一寸たりとも思っていなかったと言うこと。

 

約7年前まで、私はいわゆるジャニオタだった。ジャニオタをしていたのがどのくらいの期間かと問われたら、今の推しとは比べものにならないくらいの期間だと思う。

物心ついた頃から、スマヲタだった母親の影響でSMAPのライブには毎回行っていた。生まれて初めて乗った飛行機で行ったのはSMAPのライブの為に行った福岡だった。母親と旅行した記憶は沢山あるけれど、その記憶のほとんどがSMAPのライブと共にあった。

そして個人的にジャニオタになったきっかけは関ジャニ∞、そしてNEWS、嵐。バイトもまだ出来なかった小中学生の頃、少ない小遣いをコツコツ貯めてライブに行き、人生で初めて一人で電車に乗って、人混みに揉まれながらようやく見つけた原宿のジャニーズショップで買い物をした。今は当たり前のように歩いている新宿や渋谷で何度も道に迷った。

こんなことを言うと年齢がバレてしまうかもしれないけれど、内くんが「一瞬の風になれ」に出演する事を、ちょうど家族旅行で泊まっていた旅館で観ためざましテレビで知り、旅館の広間に置いてあるスポーツ新聞を読み漁り、人目も気にせず泣いた。12年経った今でもアホすぎて笑える。

 

そして、きっかけがなんだったかはわからない。毎週見ていた少クラで気になったからかもしれない。気付けば、デビュー組のオタクから、当時ジャニーズJrの中でもユニットとして確立していた、キスマイやA.B.C-Zのオタクになっていた。代々木で安井くんが封筒を持って出てきた日の事を思い出すと今でも胸が高鳴るし、なんでデビュー曲がCDじゃなくてDVDなんだよとムカつきながら握手目当てにえび座でDVDを買った日のこともつい最近のように覚えている。2組がデビューした頃、私の興味は、彼らのバックで踊っていたジャニーズJrに移り変わっていた。

 

今考えると、Jrのオタクほど身を削るものはなかったような気がする。推しが出るのかもわからないライブに行ったり、目を凝らさないとわからないレベルで先輩の写真に見切れる推しの姿に歓喜し公式写真を買ったり、最前にいるのにジュニアマンションで踊るJrをひたすら双眼鏡で追ったりした。

学業を優先したいJrはなんの前触れも無く消えていったし、未成年のJrは問題を起こせばすぐに名前が消された。名前が消えたことを知れるのは良い方で、ほとんどのJrが「気付けば」いなくなっていった。

 

バックで踊るJrも、さらに後ろで踊るJrも一人一人必死になって覚えた。同じ曲を沢山見返して、一人一人のダンスを観た。まだ小学生や中学生の男の子たちががむしゃらにただ一つの、「デビューする」という目標に向かって励む姿に、沢山勇気をもらった。

みんなそれぞれに個性があって、やる気がある子とない子の差がすごくわかるのが面白かった。毎年恒例のSUMMARYのお陰で、今でも舞台でTDCに行くとジュニアマンションで歌っていた今はもうほとんど辞めてしまったJrを思い出したり、原宿駅を電車で通過する度に、寒い日も暑い日も朝から整理券を求めて喫煙所で煙まみれになりながら並んだ日を思い出す。

 

当時ジュニアマンションにいた子達や、ユニットに所属していてそこそこ有名だったJrの現在の姿が気になって、今でもたまにその後を調べたりする。

アーティスト活動をしている人、名前を変えて俳優活動をしている人、よくわからないアイドルになっている人、そして歴史あるミュージカル、テニスの王子様に出演している人、本当に様々だった。(何度も言うけど千田くんをまたTDCでみたときはとても感慨深かった)

 

そして、Jrの中の一番の推しは、深澤辰哉だった。当時の私はジャニーズJrをまるっと応援していたけど、その中でもSnowManは特別だった。

彼らが、東京ドームでライブする姿を必ず見たい。誰かのバックなんかじゃなく、SnowManとして歌って踊る姿を地上波で見る日まで、SnowManがデビューするその日まで、私は彼らのオタクを辞めない。そう思っていた。

 

そう思っていたはずだったけれど、気付けば私は、ジャニオタを卒業し、アミューズのオタクになっていた。

アミューズのオタクになってから、今の推しのオタクになるまでも推し変を3度ほど繰り返したけれど、その経緯を話すととてもじゃないけど書ききれないので、割愛する

長くなってしまったけれど、これが、私のジャニオタ遍歴である。

学生時代、とにかく私の生活はジャニーズ一色だった。持ち物は全て自担のイメージカラー(今はメンカラと言うらしい)で固めていたし、バイト代は全て遠征代やチケット代に消えた。

深夜ドラマに自担が出ると知ったときは、嬉しくて夜更かししてリアタイし、翌朝も早起きして録画したドラマを観て学校に行った。人生で初めてのDVD-BOXも買った。

本当に沢山のものをもらったし、沢山の友達ができたし、本人達にしかわからない苦しみを勝手に想像して、悔しがったりもした。

 

嫌いになったわけじゃなかったけど、少しずつ、後回しになっていた。そして気づけばJr情報局の期限も切れ、彼らの活動も追わなくなって、そこでようやく、ずっと続けていたジャニーズオタクを、卒業した。

 

ジャニオタを辞めて数年経った頃、SnowManが9人体制になる事を風の噂で知った。正直人数が増えた事にも驚いたけれど、それより数年経ってもSnowManのメンバーが一人も欠けていなかった事に安堵した。8人だったMis Snow Manが無くなって、ぬんぼとSnowManという2つのユニットになってしまったあの日から、頼むからこれ以上彼らをバラバラにはしないでくれと願っていた。もう私はSnowManのオタクじゃなかったけど、心の底から嬉しかった。そして、彼らの年齢を改めて考えると、少しだけ悲しい気持ちになった。私は大学生だった時の彼らしか知らない。私がジャニオタを辞めてからSnowManがデビューするまでの7年間、変わらずに彼らのオタクを続けていた人がどのくらいいるのかはわからないけれど、私には到底理解できない長さだなと思った。デビューするその日まで応援すると思っていたのに、大きな理由もなく離れてしまった。だからこそ、デビューおめでとう、と口にするのもなんだか違う気がしたし、CDを買って貢献するのも、気が引けた。歌番組に出ていても、昔みたいに録画したりはしなかったし、騒いだりもしなかった。そして何より、私にはSnowManよりも応援したいと思う推しがいた。

 

たまにテレビでSnowManを目にしつつも、特になにも思わない日を過ごす中、大好きだった推しに会えない日々が始まった。

きっと、またすぐ推しの演技を見られる日が来るだろうと、3月1日、舞台上に立つ推しの姿を観て思った。

バースデーイベントをやる頃には、落ち着いてるだろうと、3月20日、推しと話しながら思った。

そう思っていたけど、そう思っているうちに、気付けば夏になっていた。

舞台が無いからツイートもしない、配信もない、やるはずだったイベントはことごとく中止。自粛期間で見尽くした推しのDVD。毎週のように通っていた東京にも行かなくなって、暇になった休日。

 

ふと、YouTubeでジャニーズJrチャンネルを観た。ほんとうに何気なく。多分フォローしていた誰かが呟いていたからとか、たまたまYouTubeを開いていたからとか、些細な理由。

7MEN侍の動画だった。7年間ジャニーズから離れていた私には、初めて聞くユニット名だったけど、そこに写っていたメンバーのなかに、紛れもなく、7年前まで応援していた数人がいた。

正直めちゃくちゃ驚いたし、すごいなと思った。私が俳優オタクをしていた7年間の間、変わらずにジャニーズJrとして活動し続けていたということ。7年前の彼らと同じ時期にユニットを組んでいた子達は、もうほとんど辞めてしまっているのに、それでも辞めなかったこと。

最初は7MEN侍の動画を面白いなと思って見ていたけど(この時点でもうどろ沼に片足を突っ込んでいる事をその時の私は知らない)ジャニーズJrチャンネルは曜日ごとにユニットが分かれていて、次にHiHi Jetsの動画を観た。7MEN侍とコラボしたかなんかの動画だったと思う。そして、HiHi Jetsの動画を見て、私はまた自分の目を疑った。あまりにも時の流れが残酷すぎて。男の子の成長というものが恐ろしすぎて。

それが、井上瑞稀だった。なんでそんなに驚くんだと思われるかもしれないけど、私の中の彼は「みずきくん」で止まっているのである。私の中の「みずきくん」は小学生で、声も高くて、松潤のドラマに出ていた頃の、背の小さかった時の「みずきくん」のまま。マジレスをすると去年末にドラマで悪役していた時にもみた気がするなと思ったけれど、その時は深く考えていなかったし、Jrになんて興味が無かったけど、改めて考えるとめちゃくちゃやべえのである。「みずきくん」のかけらはどこにもなくて、声なんて聞いたことのない声色になっていて、髪も私より遥かに明るい色で、おばさんはもうただ画面を見つめて「おおきくなったんだね…」と呟くことしか出来なかった。人の子ってこんなに成長するのか????とよくわからない事を考えたりした。親戚の子供が会わないうちに成長していて感慨深くなることはこの歳になると幾度となくあるけれど、それよりもやべえ感情になった。

 

7MEN侍の動画を見尽くして、今度はHiHi Jetsの動画を見始めた時、一人だけめちゃくちゃ顔が好みのメンバーが居た。私が7年前ジャニオタだった時にはまだJrにいなかった、初めて見る人。顔が好みという理由で気になっただけだったけど、彼の人柄やキャラ、すべてにおいて私のオタク本能が「推せる」と言っていた。

公式に上がっていたHiHi Jetsの動画は全部見たけれど、めちゃくちゃ魅力的なグループだと思った。パフォーマンスも、メンバーの関係性も、面白さも、すべてにおいて私の好みのグループそのものだった。毎日のようにYouTubeHiHi Jetsの動画を見ながら、危機感も感じていて、それはこの歳で平均年齢が18歳のグループを気になり始めているということ、彼らのライブに行ってみたいという願望が出てきてしまっているということ、今まで推しに費やしていた時間をすべて、彼らの動画を見る事に費やしていたこと。これ、もう遅いのでは???

彼らのパフォーマンスが見たい、めちゃくちゃ見たい、私はもうその欲求が抑えられなくなってしまって、気がついた時には裸の少年のDVDを買っていたし、ジャニーズJr情報局の入会方法を調べていた。(今はもうハガキを送る方法じゃない事に時の流れを感じた)

裸の少年のDVDを見てしまったが最後、もう後戻り出来ない所まで来ているのである。毎週日曜日が楽しみで仕方が無いし、7年ぶりにHDDの「毎週予約」の欄に少年倶楽部が追加された。

 

コロナが収束した頃、若い女の子たちに混じって7年ぶりにジャニーズのライブに行っているかはわからないけれど、とにかく今の状況を細かく残したかったのでこのブログを書いた。

 

 

 

 

 

オタク人生において、決して忘れてはいけないこと。それは、推しが、明日突然いなくなってしまうかもしれないということ。

去年も嫌というほど痛感したはずだったのに、結局推しに会えるのが当たり前になると忘れてしまう。推しが明日も生きている可能性は、100%では無いということ。

だからこそ、私はジャニオタに舞い戻る事にした。自分よりも歳の離れた推しを作るのは少し気が引けるし、もう長時間のライブで立っていられる自信なんてないし、隣に並んでチェキを撮ることも、プレゼントを気軽に渡すこともできない彼らのオタクを果たして続けられるのか、不安は尽きない。きっと今の若い子達はイッピ袋なんて実際に見たこともないだろうし、Jrのオタク達の年代を考える度に私は果たしてその中に溶け込めるんだろうかと不安になる。でも後悔するよりは絶対に良い。

 

そして声を大にして言いたいのは、ジャニオタに出戻ったからといって推しのオタクを辞めるわけではないということ。コロナで推しの現場にはもう何ヶ月も行けていないけれど、いつかまた会える日が来たらありったけの金を注ぎ込んで会いに行こうと思う。

もしかしたら推しが炎上して干されるかもしれない。急に俳優を辞めてしまうかもしれない。もう2度と会うことのできない場所に行ってしまうかもしれない。だからこそ、今好きだと思ったものをとことん好きになろうと思った。

 

 

 

 

2020年の夏、私は7年ぶりに、ジャニオタに舞い戻った。

 

7年前の記憶を探り起こして書いたブログなのでもしかしたら所々時系列がおかしい所があるかもしれない。どうかジャニオタに怒られませんように。コロナが収束した頃、果たして私は誰の現場に行っているのか、またその時ブログに残そうと思う